池田達也氏の
「しょぼい喫茶店」
を読んでみた。
出だしから自分と同じ社会不適合者のにおいがプンプンする。
高校、大学までは順調だったけれども就職活動でつまづいたところも、そっくりである。
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p56
何日間かかなり落ち込んでいたのだけれど、いつまでもそんなふうにしてはいられなかった。
何とか卒業までに進路を決めておかないと、と言う気持ちが強かったからだ追い込まれた僕は本当にあれこれ考えていた。クラウドファンディングで支援を募ることも考えた。
ただ、仮に100人からお金をもらったとしたら、その役人から事業の様子をずっと監視されることになる。これはかなり息苦しくなるなぁと思った。
最悪失敗しても笑い話だろうと思っていたのに、これでは失敗の許されない状況になってしまう。というかそもそも1階の大学生が「喫茶店やりたいからお金ください」といきなり言ったところで支援なんか募れるわけがないと思った。
地元に帰ることや、フリーターになることも考えたけれど、どれもこれも結局就活を頑張っておけばよかったという後悔で、ますます辛くなっていってしまう感じがした。
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基本的に日本の学校教育ではゼニの稼ぎ方を教えないのだ。
教えるのはロボットとして生きていく方法だけである。
ロボットになりきれる人間は良いのだが、生理的に無理な人もいる。
しょぼい店長だけでなく、奥さんのおりんさんも病院勤務でディスポ(注射針)のように使い捨てにされることに耐えられなくなり、精神を病んだのでしょう。
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p187
初めから人生について悲観したりしていたわけではありません。
社会人になった頃は、それなりに夢もあり、将来への希望を持っていました。
ですが、仕事を続けていくにつれ、患者さんはモノのように、スタッフは道具のように扱われ、ひたすら消耗していくことが苦しくなりました。頑張れば頑張るほど増えていく仕事と、大きくなっていく責任に、私は潰されてしまったのです。
仕事を辞めたい、でもやめたら生きていけない、と思っていました。仕事を続けるか、今すぐ死ぬか。その2択しか私の中にはありませんでした。鬱になって、自分でも気づかないうちに視野が狭くなっていました.
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池田さんとおりんさん、結果としては、うまく行きました。
これはブログ、ツイッターなどのSNS,クラウドファンディングなどインターネット環境の整った、今の時代だからこそ可能だったのではないでしょうか。
伝達手段としてインターネット環境のない昭和の時代であれば、決してこれほどすんなりとは行かなかったでしょう。
日本の国の衰退が叫ばれていますが、技術的には良い時代になっているのかもしれません。
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p108
しょぼい喫茶店は、その店の成り立ちからか、何かを強く感じている人や困っている人の来店がすごく多かった。
そういう人たちの来店自体は全く問題ないのだけれど、「私は職場にこんな問題があってうつ病になったけどあなたたちは? 」とか、「家庭にあんな問題があって困っているがどうしよう」といった話をされるのは結構辛いものがあった。
昔の辛い話をしていると、その過去を追体験してしまい、その時の気持ちがよみがえってきてしまう。それに僕とオリンさんはカウンセラーではないので、辛いことを相談されてもそれを解決することはできない。
むしろ、変に共感してしまってこちらまで辛くなってしまう。特におりんさんは穏やかで話しやすいので、毎日のようにそういう話からダメージを受けていた。僕とおりんさんは辛い時もあったけど、何とかそのトンネルから出ようと日々やっていて、そのトンネルのど真ん中にいる話を聞いたり、その時期を思い出したりしてしまうと、なんだか永遠にこの辛いトンネルから抜けられないんじゃないかと思えてきてしまった。
そこで、いろいろ話し合った結果、NOTEに値段をつけたことを参考にして(オリンのしょぼい相談室)と言うのを始めた。オリンさんと1対1での相談に、10分1000円と言う高めの値段をつけてハードルを設けた。すると、それまで際限なくあった辛い話が激減して、相談を受けても、時間を決めてちゃんと対価をもらうことで、お燐さんもかなり楽に話を聞けるようになったと言っていた。
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この辺のアイデアも、noteから影響を受けています。
ビジネスモデルは、気づかないだけで、そこら中に転がっているのかもしれません。
ライター、ヒロ164