1 貴方には、自分の願いを叶える力はない
2 記憶と思いが、現実を創る
3 与え合えば、奪い合う必要はない
4 願いは、願いを手放したときに叶う。祈りは祈りを手放したときに届く
5 天国にあって地獄にないもの。地獄にあって天国にないもの
>>>
「だから、今のオマエの妄想が、「地獄にあって天国にないもの」なんだよ」
「妄想?」
「ああ。もっと言えば、怯えとか、恐怖とか、不信とか、警戒とか、そういった類のものだ。お前は俺の言葉を聞いて、それを元に「行っても大丈夫だろうか」と考えた。その思考が、単に俺の部屋に行くという簡単なことすらできなくさせてしまったんだ。もし、オマエが今の状況や俺のことを全面的に信頼していたら違う結果になっていたはずだ」
「え?違う結果って・・・」
「何の問題もなく、俺の部屋に行けただろうよ」
そこまで説明したら、ようやく薮内もハッとした表情を浮かべてくれた。一呼吸置いて、横から白井が話を繋げる。
「なるほど。地獄にあって天国にないものが「恐れ」だとしたら、天国にあって地獄にないものが見えてきますね」
その通り。恐れがなくなったときに現れるものがあるだろう。それはつまり、「信頼」や「安心」といった類のものだ。
>>>
「ほら、もう、そこからして間違ってる。誰も君を地獄に落としなんかしないよ。誰一人として、地獄に落とされた人なんていない。そうではなくて、自分で地獄を望み、選び、創り出しているんだ。「地獄」っていうのはね、自らの意思で幸せを遠ざけようとする馬鹿げた世界のことなんだよ」
>>
「源(ソース)はいつだって、僕たちに「最善」を与えようとしている。「分裂」という錯覚を持った者へも、休むことなく無償の愛を送り続けている。だからこそ、源(ソース)との繋がりを閉ざす壁さえなければ、自然と最善へと向かう流れが源(ソース)から供給されるんだ。「分裂した自己」の意思ではなく「源(ソース)」の意思が主導となった現実が創られていくんだよ。
それは、時に、分裂した自己の次元から見るととても不思議な現象、意味のある偶然に見える。
>>>
「思考と恐れの対極にあるもの。それは、君たちが気付いた通り、「信頼」なんだ。大いなる力にゆだねるということ。分離感が錯覚であることを受け入れる姿勢。奪い合うことではなく、与え合うことによって開かれる道。「個」という錯覚を手放したとき、君たちは源(ソース)のエネルギーと一体となって動き出すんだ。いいかい?」
1 求めよ、さらば与えられん。(願うことから始まる)
2 具現化するためのエネルギーは源(ソース)にある。願いはそこへ送ること。
3 願いを源(ソース)へ送るには、その間にある詰まり(思考と恐れで構成された「カルマ」をなくさなければならない。ただし、多くの願いにはすでに恐れが内包されている。
4 「願い続けている(願いがある)」という状態は、願いが源(ソース)に届いていない証。願いは、願いを手放したとき「源(ソース)へ届いた際」に叶う。
5 詰まりは、思考と恐れを手放すこと「源(ソース)に対する絶対的な信頼」によって消滅する。
6 源(ソース)に届いた願いは「与える者」を担う場へと分散される。
願う→手放す→源に届く→具現化が始まる
そして閻魔は振り返り「これで終わりじゃないんだ」意味深に微笑む。
→受け取る
「うん。自己卑下っていうのかな。自分の価値を自分で下げてしまっているんだ。「自信のなさ」が引力になってカルマを引き寄せやすい傾向があるんだよ。そのカルマのせいで「私には受け取る資格がありません、私にはふさわしくありません」って、折角のプレゼントを受け取り拒否しちゃうんだ。折角だからカルマの中を見せてあげるよ」
>>>
「いいかい?君たちがこれから人間界に行って、彼らに伝えることは「苦難というハードルを乗り越える術」じゃない。「そんなハードルなど、もともと存在などしていない」ということに気付いてもらうことなんだ」
雲黒斎 阿部 敏郎 降参のススメ
歴史上、このことをよくご存知だったのが、「マザー・テレサ」ですね。
彼女はよくこう言っていたそうです。
「私は、反戦運動には協力いたしません。しかし平和運動になら、喜んで協力します」って。
ね、「反戦運動」は「反」と言いつつも、やっぱり「戦争」に意識を向けているんです。でも「平和運動」なら「平和」の方に意識を向けているんですよ。
僕たちの意識を向けたものが、具現化に向けての力を得る。だとしたら、戦争に意識を向けるのではなく、平和に向けなければならないと。
>>
人生で出会うべく人とは必ず出会う。
しかも一瞬早からず、一瞬遅からず。
そしてあなたがこの本を手に取ってくれたのも、一瞬早からず、一瞬遅からず。
ずべては決まっていると思います。
あなたは僕であり、僕はあなたなのです。