映画ジョーカーの考察と共感、問題作なのか?

出典

ネタバレ

ネタバレになるので詳細は書かない?リボルバーを小児病棟で落としてしまうシーンがある。

本来は街の不良少年から身を守るはずのものだった。

前回の仕事では、契約先の楽器店から借りた看板を壊されて自身も殴る、蹴るの仕打ちをされたのだから。

おまけに不良少年に壊された看板の損害賠償までされてしまった。

このリボルバーは前回の仕事の反省から仕事仲間が自衛用に贈ってくれたものだった。

しかしながら、それを病院の子供たちの前で落としてしまうことで危険人物の扱いを受けてしまい勤務先の興業会社を解雇されてしまう。

わずかな偶然の積み重ね、予期しなかった失敗の采配により、さらに不幸になる。

現在、社会の底辺で仕方なく生きている人々も自身の境遇と照らし合わせて、この主人公アーサーの凋落を見たに違いない。

決して笑いごとではない。

決して他人事ではない。

これは自分事ではないか。

共感を得た多くの人は、そう思ったに違いない。

共感しない人は市長選挙に立候補するウェインの立場である。

既に体制側である。

善玉バットマンと悪役ジョーカー

1980年代後半にワーナーブラザーズより公開された映画「バットマン」が興行的に大成功を収めた。

この映画は非常に分かりやすく、悪役のジョーカーを善玉のバットマンがやっつける、というだけのものである。

余談かもしれないが、この映画のサウンドトラックを手掛けたのは、かの天才「プリンス」である。(享年57歳)

彼もまた、マイケル・ジャクソンと同じく亡きものにされた。

マイケル・ジャクソンほど分かりやすい手口ではなかったが。。

この天才「プリンス」の遺作のアルバムは57分57秒で収録されている。

そんなもの偶然ではないかという意見もあるであろうが、彼がワーナーブラザーズとの奴隷契約?を終えた後に発表された3枚組のアルバム、「EMANCIPATION」では1枚の収録時間が全て60分におさめられている。

合わせて3時間のアルバムなのだ。

天才「プリンス」は、このくらいの小細工は楽勝で出来るのである。

誰もが悪役ジョーカーになり得る時代

現代は、誰もが人生、社会に悲嘆、絶望して悪役になってしまう可能性のある時代なのだ。

だからこそ、今の時代に、この映画「JOKER」はヒットしたのだ。

この映画が公開された2019年時点で、世界中で大規模デモが発生している。

スペインでは50万人を超えるデモ、チリでは100万を超えるデモが発生して、死者が出ている。

また、フランスではイエローベストデモの1周年記念デモ、ならびにイランでは全国100ヶ所で約9万人がデモと報じられている。

こうしたデモをする人々はピエロの仮面をかぶり、ジョーカーを絶望?あるいは希望のシンボルとする群衆たちと同じ心理なのであろう。

自覚的か、無自覚的かは別として。

社会はジョージ・オーウェルが予見した1984年の社会に完成しつつある。

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